福山市はどこにある?どんな街で、何が有名なのか、繊維産業が盛んな理由などを紹介!
TAKUMIBA(タクミバ)が工場を構えているのは、広島県の福山市です。
福山市は、都市規模のわりに知名度はイマイチ。
「福山?どこ?」と思う人のほうが多いのが現実です。
そこで、福山市のことを少しでも知ってもらうために、かんたんに福山市について紹介したいと思います。
福山は、いろいろな物語があるおもしろい街です!
福山市はどんなところ?
福山市は、広島県の最南東に位置していて、岡山県と接しています。
広島県といったら、県庁所在地の広島市や宮島、呉などをイメージしますよね。
でも、広島市も宮島のある廿日市市も呉市も、広島県の西部の街。
だから、福山市とはかなり離れています。
その距離は、約100km。
そのため福山市は、広島市とはまったく異なる文化が特徴です。
ちなみに、観光地として有名な尾道市は福山市の西隣になります。
福山市を含む広島県東部は「備後国(びんごのくに)」と呼ばれていました。
備後とは、吉備国の「後ろ側=京から遠い側」という意味です。
吉備国といえば岡山県。「きびだんご」の「吉備」ですね。
だから、福山は歴史的・地理的に岡山県と共通の文化を持つエリアです。
そんな福山市は人口約46万人をほこる中核都市です。
広島県では広島市に次ぐ広島県第2位の人口で、中国地方では第4位の人口をほこっています。
そして市の花になっているバラは、市のシンボルになっています。
また、実はJR福山駅は、山陽新幹線「のぞみ」も停車する駅。
そして駅の目の前に、福山のシンボル「福山城」の天守が見えます。
だから、福山=福山城の印象を持つ人も多いのではないでしょうか?
ほかにもアニメ『崖の上のポニョ』の舞台のモデルにもなった景勝地「鞆の浦」や、遊園地の「みろくの里」などの観光スポットがあります。
福山市の名産・産業は?
どこの街にも名産品、その土地ならではの産業があり、その土地ならではの物語がありますよね。
もちろん福山市にもたくさんあります。
そして、福山市はビジネスが盛んです。
実は福山に本拠を構えていたり、福山が発祥だったりする企業がたくさんあります。
- 福山通運
- 青山商事(洋服の青山)
- ジーベック
- エフピコ
- JFEスチール
聞いたことがある企業もありませんか?
さらに、福山は伝統産業・地場産業も多彩。
とくに「ものづくり」が盛んです。
福山で代表的な「ものづくり」には、以下のようなものがあります。
- 備後表(イグサ製品)
- 琴
- 下駄
- 備後絣(びんご かすり)
- 繊維製品
備後絣に繊維製品……
そう、TAKUMIBAが工場を構える福山市は、繊維産業が盛んな街です!
福山は繊維産業がさかん
ところで繊維産業が盛んなのか気になりますよね。
そこで、福山における繊維産業の歴史を紐解いてみたいと思います。
どんな物語があるのでしょうか?
江戸時代の干拓と綿花栽培
福山市の市街地がある平地は「福山平野」と呼ばれています。
実は、福山平野は江戸時代前期までは海。
現在の福山市北部にあたる神辺(かんなべ)を拠点にした大名・水野勝成は、水運による交通の利便性に目を付け、江戸時代前期に海沿いの小山だった場所に福山城を築城しました。
やがて、城の南に広がる海を少しずつ干拓して土地を広げていき、現在の福山平野の原型ができます。
しかし、もともと海だった干拓地は、土に塩分が含まれていて、稲作には向きません。
塩分がなくなるまで、長い時間がかかります。
そこで水野氏は、塩分に強い綿花の栽培を奨励しました。
温暖な気候や、福山を流れる河川「芦田川」の水、鞆の浦という大きな港という、福山の環境も重要なポイントです。
そして、取れた綿を生かし綿織物が盛んに作られるようになりました。
これが福山における繊維産業の起源です。
近代の繊維産業と備後絣
江戸時代の後半になると、現在の福山市北部で「備後絣(びんごかすり)」と呼ばれる織物が誕生します。
明治になると「モンペ」などの普段着としての需要もあり、全国に流通。
昭和30年代には全国の絣の約7割を締めるほど盛んに製造され、備後絣は「日本三大絣」のひとつにもなりました。
その後、洋服の流行により備後絣の製造は縮小します。
しかし備後絣の技術は、デニムや作業着、その他の服飾などに生かされます。
そして現在でも福山には多くの繊維関連の企業がたくさん立地し、繊維産業が盛んです。
福山という地域には、生地屋さん、ボタンなどの付属屋さん、技術の高い工場があり、職人さんがまだまだたくさんいる、日本に残る数少ない服作りの産地の一つです。
福山の繊維産業の発展については、また別の機会にしっかりとお話したいと思います。
まとめ
一時は全国に広がった備後絣。
備後絣の生産は減少しましたが、その技術は形を変えて、現在も福山で生きています。
TAKUMIBAは福山の服づくりという伝統受け継ぎ、そこで秘められたつむがれた物語に思いを馳せながら、福山での丁寧なパンツづくりに励んでいきます。