一枚のパンツができあがるまで。
そこには数多くの工程があり、各分野のスペシャリストが存在します。
TAKUMIBAのブランドアイデンティティを発信する、「BRAND STORY」
第三回は、パレフタバのクリエイターにスポットを当て、どのような半生を歩み、どのような想いで服に携わっているのかをご紹介します。
Index
●デザイナー・エステバン絵理
●パタンナー・平岡貴大
●ディレクター・藤井篤彦
●デザイナー・エステバン絵理 |
Profile
エステバン絵理
岡山市出身
中学生の頃から服作りをしたいという思いを持ち、高校では被服科を選択。
卒業後は専門ファッションスクールのデザインコースに進学し、学内コンテストでは留学賞を受賞する。
その後、パリの服飾専門学校へ留学し、24歳のときに日本へ帰国。
2015年にパレフタバに入社し、現在はデザイナーとして活動を続けている。
趣味は料理(今はまっているのは韓国料理)。
フランスでデザインを学ぶ
-中学生時代から服に興味があったということですが、これまでずっと服飾の道を歩まれてきたのでしょうか?
そうですね。最初はリメイクから始めて、高校生のときに、洋装も和装も学べる被服科を選びました。実際に勉強してみると、洋装に興味を持つようになって。
そのまま専門ファッションスクールに進学したので、服飾にはずっと携わっていると思います。
-パリへ行くことになったきっかけと、パリでの活動を教えてください。
もともと、海外に留学したいという思いはありました。そんなときに、ファッションスクールの学内コンテスト留学賞を受賞したのがきっかけですかね。
パリの服飾専門学校には最終学年である3年生として編入したんです。
1年間勉強をした後、次の1年はフランス国内でインターンシップ活動をしました。いわゆる就活という形ですね。
在学中に服飾専門学校対象の商品企画のコンクールでデザイン画やサンプルを提出したところ、
グランプリをいただき、そのまま最初のインターンシップ先としてお仕事をさせていただけるようになりました。
生産背景の不透明さに疑問を持つ
-海外で実際に服飾のお仕事をされたのは、貴重な経験ですね。
そうですね。結局フランスでは、インターンシップとして3社所属させていただきました。
2社目はパリコレメゾンのパタンナーアシスタントでした。
パタンナーが組んだトワルの裁断や、組み立て、ファッションショー、展示会の手伝いなどの業務を。
そして3社目もパリコレブランドでした。
サンプル作製から量産品までの企画から生産までのアシスタントを行い、そこでモノづくりの背景を勉強しました。
-そこから日本に帰ってきたのは、どのような経緯があったのでしょうか?
フランスの文化を知ったというのが理由ですかね。
フランスって、すごく家族を大切にする国なんですよ。だから、自分も家族のそばにいたいなと考えるようになって。
当時の自分は、少しアパレルに疲れていたのもあったかもしれません。家族の近くにいたいという思いと、どんな人に商品を届けたいのかをゆっくり考えるために
日本に戻ってきました。
帰国後、販売員として働いていたときに転機が
当時、一緒に働いていた駆け出しのクリエイター仲間と、アトリエを借りて一緒にモノづくりをしていたんです。
そこで、自分のデザインが形になる楽しさを再発見したんですね。
ただ、せっかく納得のいくモノづくりができても、販売するための知識が欠けていることに気付いたんです。
選んできた生地背景のこともよく知らない。作った服の洗濯方法も分からない。ましてやお客様にどうやってそれを伝えるのかさえもわかりませんでした。
このままではダメだと思いまして、、
-そこで、足りない知識が学べる会社に入ろうと。
そうですね。ただ、その直後に入った会社が海外製のチームで、生産背景で目に見えない部分もあるし、やっぱりトラブルも多く品質に疑問を感じてしまったんです。
そのくらいの時期から、扱っているものが国産で、生産背景がちゃんと見えるところがいいと思うようになりました。
いろいろな会社を探していたところ、生産背景が明確になっている会社として出会ったのが国内生産に特化したパレ・フタバでした。
同じ生活をしている人たちに、快適なデザインを届けたい。
-さまざまな心境の変化があり、最後は自分が大事にしたいと思うことを尊重されたんですね。
そこに行き着いたのかなと思います。
いまは仕事をするうえで、「商品の履歴を全て把握すること」にこだわっていますね。
生地だけでなく付属品の素材まで、どんな工場で、どんな過程で、どんな人たちが縫っているのかを自分がきちんと知っておく。
生地の調達も自分が必ず入って商談するし、サンプルも必ず試着します。生産が始まれば縫製工場に見に行くし、生地の染色工場に行って設備や工程を確認することも
あります。最後の仕上げ工程も温度や時間の調整に立ち会い、商品が一番輝く状態になるようにします。
お客様に「買って良かった」と思ってもらえるように、自分がデザインした商品に対して責任を持つことを大事にしています。
-まさにモノづくりのプロですね。。!お仕事で達成感を感じるのはどのような時でしょうか?
生産過程で問題が起こっても、関係者全員で集まって、解決した時です。
課題を解決できた→自分自身もステップアップができた。ということだと思うので、今後さらに良い商品を作れると考えています。
-これまたプロならではの意識という感じですね!それでは最後に、どのような人にご自身のデザインを届けたいか教えてください。
自分の周りにいる人たち、同じ生活をしている人たちですかね。
高級品を作りたいわけじゃないんですよ。
私のデザインでファッションを楽しんでもらえるような体験を、これからも提供していきたいと思っています。
●パタンナー・平岡 貴大 |
Profile
平岡 貴大
広島県 尾道市出身
子どもの頃からファッションが好きで、フランス発の学校「エスモードジャポン」へ。
その後、メンズアパレルの会社へ就職し、オーダーメードで芸能人・映画の撮影に使う衣装などを作ることも。
現在はパタンナーとしてパレフタバの衣服に携わる。仕事以外でも、服作りが趣味。
パタンナーの勉強にのめり込んでいった学生時代
-現在はパタンナーとして活躍されている平岡さんですが、目指したきっかけは何だったんでしょうか?
ファッションは昔からずっと好きだったんですが、華やかな業界で自分とは縁遠い存在だと思っていました。
でも高校生のときに、パタンナーという仕事があることを知り、自分でもできるかもしれないと思い、勉強してみようと決意しました。
-パタンナーならできそうと思えるのがすごいですね!
学校で実際にやってみたら得意だったし、もっと追求していきたいと思うようになりました。
学校では1・2年生でレディースのデザインとパターン、3年生ではメンズの服作りを学びました。デザインからパターン、縫製までしていましたが、特に、
ジャケットやスーツといったアイテムの勉強に力を入れました。卒業制作でLOOKを3体制作したのは大変でしたがいい思い出です。
-その後、メンズ服の会社に勤められたということですが、どのような経験をしたのか教えてください。
今の仕事の原点になっています。
工場が併設されている会社だったので、もの作りを一から学ぶことができました。
最高峰のブランドのもの作りに携われたことが、今の自分にも活かされています。
あとは、芸能人の衣装や映画の衣装のオーダーメイドにも携わっており沢山の刺激を頂きました。
-なかなかできない体験をされたのですね。そこからパレフタバに入社した経緯は?
地元で暮らしながら、今までの経験を活かしてパタンナーとして働きたいと思っていたタイミングで求人を見付けました。
良い商品を福山の地で作るというプロジェクトに魅力を感じて、福山事業所立ち上げメンバーとして働くことになりました。
パタンナーのプロであっても、ニット素材を扱うのは難しい
地元でパタンナーの仕事ができたのはよかったのですが、パレフタバはニット素材がメインの会社です。
シャツやブラウスなどであれば、布帛(ふはく)という一般的な生地を使うんですが、ニットとなると勝手が全然違います。
当初は本番の生地で縫ったサンプルが上がってこないと、思った通りのシルエットになっているか分からなく、半分は感覚と想像でパターンを引いていました。
-ニットのパンツをつくるのには、目に見えない苦労がたくさんありますよね。
そうですね。あとは経験が豊富な外部のベテランパタンナーさんと一緒にお仕事をする機会があったときに、今までにない厳しい指摘をいただき、
パターンの難しさを改めて感じることもありました。このときの経験はパターン作りについて向き合い、パタンナーとして成長につながる良い学びになりました。
イメージ通りのシルエットを実現するために
-仕事へのこだわりについて詳しく聞かせていただけますか?
とにかく穿き心地とシルエットにこだわることです。
以前は、デザイナーから「お尻に布が食い込む」との指摘があったのですが、修正に苦戦していました。
しかし、3Dキャドの導入によって、股ぐりのくい込むところを改善できるようになりました。
-3Dキャドについても教えていただけますか。
簡単に言うと、キャドで引いたパターンを縫い上げた状態をパソコンの画面上で確認できるソフトです。
サンプルを見ても明確にどの部分で問題が出ているのか、どこを修正すればいいのか分かりづらいこともあるのですが、3Dキャドを導入することで、問題点を
可視化できるようになり、より精度の高いパターンを引けるようになりました。
-なるほど。新しい技術の導入によって、平岡さんのお仕事も、よりこだわりを実現できるようになったんですね。
そうですね。穿き心地やできあがったときの完成度は、納得のいくものになったと思います。
イメージ通りのシルエットができあがったときは、本当に仕事のやりがいを感じます。
-それでは最後に、どのような人にパンツを穿いてほしいか教えてください。
どんな人でも喜んで穿いてほしいですね。
「こういう人」というのは特に決めてません。誰が穿いても心地よいものをつくっています。
おすすめという意味では、 23AW : ヘリンボンニット タックテーパードが、イチオシのパンツです。
脇のまるいラインにこだわったかわいいシルエットのパンツです。ぜひ、試していただけると嬉しいです。
●ディレクター・藤井 篤彦 |
Profile
藤井 篤彦
兵庫県 西宮市出身 2016年入社
呉服屋と洋服屋の間に生まれ、幼い頃から繊維に囲まれた環境の育ち。
神戸大学卒業後、日系メーカーでの営業・マーケティング職経験の後、家業であるアパレルメーカーのパレ・フタバ株式会社に入社。
パンツ専門工房の一員として、繊維の産地である広島県福山市に根を下ろし、
工房の設備強化~素材開発~シルエット・デザイン開発、時には検品・出荷作業など、日々より良いパンツ作りに挑戦しています。
お客様の声が届く仕事場へ
-家業の後継として、どのような想いで仕事をされているのか教えてください。
使命感、というのはあると思います。
75年以上続いている会社なので、それを「続けなくてはいけない」というのがモチベーションになっていますね。
ただ、持続させていくためには、変えることと変えないことの見極めが必要だと思っています。
-具体的には、どのような部分でしょうか?
まず根本にあるのは、働いているメンバーと一緒に幸せにならないといけないということです。
もともとうちはメーカーだったので、エンドユーザーへ商品が届くまでの間に商社が入ったり、お客様とは遠い場所にいました。
だからお客様の声が届きにくく、働いているスタッフのモチベーションにつながりにくかったんですね。これは環境を変えた方がいいと思い、
現在のBtoC事業にたどり着いています。
-職場環境に変化はありましたか?
変わりましたね。お客様の声がキャッチしやすい環境になって、やりがいを感じられるスタッフが増えました。
やっぱり、自分の仕事が世の中にどう役に立っているのか、ちゃんと感じられることが大事です。
あとは、変えない部分として、情報共有をシームレスにしていることをずっと続けています。
-情報共有のシームレスとはどのようなことでしょうか。
全員が全員の情報を共有するんです。
就業時に、全員がそれぞれの仕事のレポートを書いて、それをみんなに共有。
だから、情報に透明性があって「誰が何をしてるか分からない」のようなコミュニケーションコストが発生しないんです。
これはもう10年以上はやり続けていることで、クオリティの向上にもつながってますし、文化として根付いている感じですね。
わずか2% 日本製の衣服は絶滅危惧種
-独自のカルチャーが存在しているんですね。
国産の服にこだわり続ける理由も教えてもらえますでしょうか。
実は、日本製の服は世の中の2%しか残っていないんですよ。このままだと消滅しかねないんですね。
日本のモノづくりは本当にレベルが高い。
だから、この火種を絶やしてはいけないと思い、サイクルを回すためにも、今のようなファクトリーブランドという形にしているんです。
-たった2%しかないというのは知りませんでした。
海外と比べたときに、日本の方がモノづくりのレベルは高いんでしょうか?
世界中のすべてを見たわけではありませんが、日本のモノづくりは、その丁寧さが工程にも完成した商品にも表れていますね。
例えば、ミシンの針を何回落とすか、という細かいところまで注意していたりします。
作業を完了させるだけだったら、運針数を少なくしてスピードを上げた方が早く終わりますが、商品のキレイさのためにそのあたりも基準を設けています。
”面”の良さに違いが出る。
日本で作られた商品は、生地も含めて、面(つら)がいいなと感じることが多いです。
自分の担当が終わっても、トラブルが起きないように次の人のために確認して作業を引き継ぐとか、そういう配慮の積み重ねが、
仕上がりに大きな差を生んでいるのかなと思います。
-なるほど。普段の業務の他に、そのような文化の継承も目指しているんですね。
良いものを、良いとしっかり届けることも使命だと思ってます。
一着の服ができるまでに、全工程で何十人もの人が携わっていること。縫製工場はどんどん減っているので、国産比率も落ちていること。こういった情報を
伝えていき、日本のモノづくりや産地を守ることにつなげていきたいですね。
スタッフ自らが穿きたくなるパンツをつくりたい
-目の前の「製造」という観点では、どのような目標がありますか?
実は、自分たち自身が欲しいと思うものを作れる縫製工場になっていきたいと思っています。
OEMで得意先の希望に応えるだけではなく、自分たちが「こういうものを穿きたい」と思ったら、
それを実行できる組織ですね。そのためには作るだけではなく、広く売る力も必要になります。今はこの目標も持って活動しています。
-確かに、作り手が欲しいと思うものを届けるというのは大事ですよね。
「自分はお金を出して買わないけど、頼まれたから作る」だけでは続かないと思っていて。
自分たちも欲しいと思えるものを作って、自分たちの身近な人にも穿いてもらって、喜ぶ様子を見ることが、モノづくりに携わる僕たちの喜びだと思います。
-それでは最後に、社員の皆さんにメッセージをお願いします。
そのまま繋がる話になるんですが、人に喜びを届ける服を作るスタッフが、幸せに働けていないというのは、本末転倒だと思います。
だから、働く環境やモチベーションの部分には、これからもしっかり向き合っていきます。
いい服を作って、着た人が喜んでくれている様子が感じられる、そんな環境を作ることで、働くメンバーも社会全体も幸せになって、
日本のモノづくりがもっと盛り上がる。
そんな理想を現実にできるように、これからも伴走してもらえると嬉しいです。